精子発現遺伝子による雌雄産み分け法開発事業

牛・豚で新手法 誰でも安価、簡便に
 広島大学は、JRA畜産振興事業による助成を受けて、2018年から3年間で「精子発現遺伝子による雌雄産み分け法開発事業」に取り組んでいます。
 世界で初めて、染色体の種類によって精子の運動機能に違いがあることを実証。これを利用して、雄と雌の精子を分ける技術の開発に成功しました。実用化すれば、迅速、簡便に安く雌雄の選別ができるようになり、畜産経営の生産効率や品質の向上が期待されます。

精子の機能の定説を覆す

 2019年8月14日の朝、「雌雄産み分け簡単、安価に 広島大学など」のニュースが国内外を駆け巡り、開発者である広島大学の島田昌之教授のもとには、多くの問い合わせが寄せられました。畜産に関する研究開発のニュースが大きく取り上げられるのも、日本発の畜産の研究が海外で注目されるのも、とても珍しいことです。
 生物の性別(雄と雌)は、X染色体とY染色体の組み合わせによって決まります。染色体は、細胞の核が分かれるときに現れるひものような物質で、DNAとヒストン(タンパク質)が主な成分です。
 染色体の数や大きさは哺乳類の種類ごとに定まっていて、性別の決定や遺伝に重要な働きをします。卵子が持つのはX染色体のみですが、精子はXとYのどちらかの染色体を持ちます。卵子と精子の染色体の組み合わせがXとXなら雌、XとYなら雄が産まれます(図 哺乳類の性別決定の仕組み)。図: 哺乳類の性別決定の仕組み
 これまでの定説では、X染色体を持つ精子(以下、X精子)とY染色体を持つ精子(以下、Y精子)の運動機能そのものに差はないと考えられていました。今回、広島大学は、X精子とY精子で機能に差があることを、世界で初めて実証したのです。
 実証実験では、マウスの精液が入った試験管に精子の免疫性を高める薬品を加えると、雌を作るX精子のしっぽにだけ薬品が結び付き、精子の泳ぎを抑えることが分かりました。この薬品は一般のワクチンにも使われていて、特別なものではありません。ヒトも含め、ほとんどの哺乳類のX精子は同じ反応を見せます。
 イラストは、今回開発した雌雄産み分け法を、島田教授の監修のもと描いたものです。
 薬品が混ざった精液の中で、雌を作るX精子は下の方へ沈み、雄を作るY精子は泳ぎ続けて精液の上部に集まります。これを利用して、X精子とY精子、つまり、雌を作る精子と雄を作る精子を高い確度で分けることに成功しました。

マンガ: 染色体の徒競走

雌雄産み分けのための雌と雄の精子の分離技術について

精子(イラストでは豚で表現)には、雌を作るX精子と雄を作るY精子がある
精液に免疫性を高める薬品(イラストではドーナツで表現)を加える
雌を作るX精子は薬品に反応する。雄を作るY精子は、薬品に反応せず精液の中を泳ぎ続ける
雌を作るX精子は、薬品により動きが抑制され、精液の下の方に沈む。雄を作るY精子は、泳ぎ続けて精液の上部に集まる

以上の仕組みで、精液の上部にY精子が、下部にX精子が分離し、精子の雌雄が分けられる(イラスト監修:広島大学 島田昌之教授)

 次に、実用化を視野に入れ、牛と豚の精液を使って実験しました。牛の精液に薬品を混ぜ、X精子の精液とY精子の精液に分離。Y精子の精液で、雄が産まれる体外受精卵を作り受精卵移植をした結果、狙い通り、雄の子牛が産まれました。
 豚でも同じ手法で精液を雌雄に分離し、Y精子の精液で人工授精をしたところ、産まれた11頭の子豚のうち8頭が雄でした。雄を多く生産したい種豚場などで実用可能なレベルに近づいています。

図: 哺乳類の性別決定の仕組み

マンガ: 染色体の徒競走

雌雄産み分けのための雌と雄の精子の分離技術について

精子(イラストでは豚で表現)には、雌を作るX精子と雄を作るY精子がある
精液に免疫性を高める薬品(イラストではドーナツで表現)を加える
雌を作るX精子は薬品に反応する。雄を作るY精子は、薬品に反応せず精液の中を泳ぎ続ける
雌を作るX精子は、薬品により動きが抑制され、精液の下の方に沈む。雄を作るY精子は、泳ぎ続けて精液の上部に集まる

以上の仕組みで、精液の上部にY精子が、下部にX精子が分離し、精子の雌雄が分けられる(イラスト監修:広島大学 島田昌之教授)

現場で役立つ技術に照準

 島田教授は「どんなに素晴らしい研究も、現場で役立つ技術でなければ意味がない」と話します。生産現場で使える技術の確立にこだわるのは、今から10年前の経験がきっかけになっています。
 島田教授は09年に、豚の凍結精液の融解剤を開発しました。精子が凍結前と同じくらい活発に動き回れる技術で、研究開発としては画期的でした。しかし、当時は養豚の生産現場における凍結精液の普及率が低く、利用は研究機関レベルに限られました。
 続いて開発したのは、豚の人工授精で使われる精液の希釈剤です。今でこそ業界シェアは5割を超えていますが、これまでの常識を覆す手法が生産者に警戒され、当初は見向きもされませんでした。
 例えば、当時の常識は「希釈は時間をかけて優しく、段階的に行い、精液は豚の体温まで温めて扱う」でした。それが、島田教授が開発した希釈剤は「希釈は短時間に1回のみ。豚の精液は冷たいまま豚に人工授精してOK」と、それまで行っていた数々の手順が不要になるものでした。
 島田教授は、「使い方とメリットを分かりやすく説明すれば、生産者に必ず受け入れてもらえる」と信じ、全国各地の農場を訪ねて生産者と意見を交わしました。そこで、現場の最大のニーズは、①省力化、②誰でも間違いなく使える、③繁殖成績の向上と知り、ニーズに応えた技術であることや使い方を説明するため、農場や生産者が集まる会議に積極的に参加し続けました。

写真: 島田昌之教授

島田昌之教授プロフィル

東京都生まれ。46歳。広島大学大学院 統合生命科学研究科 研究科長補佐、同大学生物生産学部 副学部長。博士(獣医学)。 主な研究分野は農学、動物生命科学、動物生産科学。趣味は、ダイエットのためのランニング。

目指す生産者の所得向上

 今も、牛では雌雄産み分けができますが、豚では実用化されていません。牛でも、X精子とY精子の分離には長時間を要します。その間に、精子の受精力が低下することも課題でした。
 コスト削減も望めます。ここ数年の間、牛で普及してきた性選別精液は、精子の染色体の大きさの違いで雌雄を分けます。使用するアメリカ製の専用の機械は利用許諾の契約が必要で、特許使用料も発生します。機械自体も数千万円と高額で大型なため、日本では導入できる施設や機関が限られていました。
 今回の研究で精子の分離に使う機器は、従来のものより大幅に安く、各都道府県の畜産試験場や体外受精卵移植を行う獣医師などでの普及を見込んでいます。これまでの精子の雌雄の分離にかかる費用より、安価になることが期待できます。
 雌雄産み分け法は、牛では体外受精卵移植での活用を目指します。
 酪農経営では、ホルスタインの母牛に、黒毛和種の子牛が産まれる受精卵を移植するのが一般的です。子牛市場では、黒毛和種の子牛の方が高く取引されるからです。
 さらに、黒毛和種の子牛は、雄の方が5〜10万円高く取引される傾向にあります。雄を作るY精子を使って体外受精卵を移植できれば、高い確率で雄の子牛が産まれ、生産者の利益が生み出せるようになります。
 豚は、現状では牛と同じように高い確率で雌と雄の精子を選別することが難しく、実用化に5年程度はかかる見通しです。
 豚の雄は、肉質を上げるために改良を重ねているため、優秀な雄の精液を多くの雌に交配できれば、優れた肉質の豚が量産できるようになります。また、一度にたくさん交配ができるので、生体の雄を多数飼養する必要もなくなり、飼料代や生体の購入費など、コスト面からも有用です。
 豚の繁殖は、自然交配か人工授精で行います。人工授精は、雌に30億もの大量の精子を注入し、激しい生存競争に勝ち抜いた精子が卵子にたどり着き、受精が成立します。このとき、X精子とY精子のどちらが受精するかは、現状では運任せです。
 島田教授は「70%以上の確率で狙った性が産まれれば、畜産の現場で十分に使える」と考えます。

実用化に確かな手応え

 生産現場での導入に向けては、技術の精度や研究成果を十分に検証する必要があります。
 現在、広島大学は、全国の畜産試験場などと共同研究を進め、まずは牛の雌雄産み分けの実用化に向けて検証しています。
 検証に協力する施設には、実験に必要な希釈剤などの試薬一式や、保管や検査、観察の方法を平易に、簡潔に書いた手順書をセットにして配布しています。島田教授は、過去の生産者とのやり取りで、操作の個人差を少なくした方が結果に差が生じにくいと考えたからです。
 これは、生産者のニーズである「誰でも間違いなく使える」に応えるための雌雄産み分けキットの試作も兼ねています。キットや各種報道の効果などにより、協力を申し出る施設も着実に増えてきました。
 今後、精子の雌雄の選別にかかる時間は短縮され、これまでより安価に、限られた施設以外でも雌雄が産み分けられるようになります。牛だけでなく豚でも可能なため、より多くの生産者の労働負担やコストの軽減を後押しします。
 国内特許は公開済みで、国際特許も出願しました。島田教授は「日本の畜産の発展は、これまで海外からの技術に支えられてきた部分が大きい。日本発の技術として、生産者に適正価格で提供し、持続可能な畜産経営の確立に貢献したい」と意気込みます。
 雌雄産み分け法の畜産現場での実用化に向けて、島田教授の研究は続きます。

顕微鏡で精子の動きを確認する広島大学の研究員

識者解説

日本の畜産革新をもたらす技術学校法人 麻布獣医学園 理事長 柏崎 直巳 氏

 牛乳や肉などの畜産物は、食生活には欠かすことができません。また、食料生産においても家畜はとても重要な役割を果たしています。そして畜産では、家畜を繁殖させることは、畜産生産そのものであるのと同時に、家畜改良の観点からも非常に重要です。
 おいしい畜産物を安全に安定的に供給するため、私たちはさまざまな知識と技術を利活用しています。その1つに家畜の「性判別精液」を用いた人工授精や体外受精・胚移植の技術があり、これによって「家畜の雌雄産み分け」を実践しています。家畜を含む哺乳類の性別は、受精する精子の性染色体がX(X精子で雌に)かY(Y精子で雄に)かで決まります。
 今回の島田教授(広島大学)が研究開発した「家畜の雌雄産み分け」方法は、X精子とY精子の遺伝子(ゲノム)発現の違いに基づいた手法で、現在普及している「性判別精液」とは全く別の手法です。この手法にさらに改良を加えていくことにより、生産に望ましい性別の家畜を高効率に生産することが可能となります。
 これまで利用してきた従来法は、X精子とY精子のDNA含有量の違いに基づいたもので、フローサイトメーターという高額な機器を使用し、さらには多額の外国特許の経費がかかります。これに対し、今回の島田教授の研究開発した方法は、X精子とY精子の遺伝子(ゲノム)発現の違いに基づいた「家畜の雌雄産み分け」で、日本畜産のイノベーション(革新)として大いに期待されます。

柏崎理事長
コラム

多様化する食肉需要畜産ライター 近田 康二 氏

 農林水産省の食料需給表によると、2018年度の日本人1人当たりの食肉供給量は33.5㎏となり過去最高を更新しました。内訳は牛肉6.5㎏、豚肉12.9㎏、鶏肉13.8㎏、その他です。鶏肉がけん引している形で、牛肉や豚肉と比べて安価で、低脂肪でヘルシーなイメージがあることから、05年以降、右肩上がりで消費が伸びています。長年にわたって不動の1位だった豚肉を12年に抜きトップに立ちます。
 この食肉供給量には国内生産に加えて輸入物も含まれており、生産量は各畜種とも横ばい傾向にあることから、需要が増えた分を輸入物でカバーしている格好です。当然ながら肉類の国内自給率は51%、特に牛肉は36%にとどまります。
 すでに発効されているTPP11、日欧EPA、さらに新たな日米貿易交渉から、輸入関税が段階的に低減されること。さらに2040年までにかけては一貫して人口減少・少子高齢化が進展する見込みとあって先行きの需要拡大は難しい等々、国内生産にとっては課題が山積します。
 いま畜産の現場では、生産効率を追い求める「コスト低減」に向けた取り組みが進んでいます。規模拡大、一貫経営、育種改良、繁殖や肥育での技術革新、IoT化などです。これに異論を挟むつもりはありません。しかし、一方で消費者の求めるものは多様化しています。長期肥育、より環境に優しい放牧飼養、稀少品種といった多少高くてもおいしいものを食べたい消費者が確実に存在します。ますます多様化していく食肉ニーズをくみ取る畜産があっても良いと思います。

事業名

精子発現遺伝子による雌雄産み分け法開発事業
事業主体 国立大学法人 広島大学

事業概要

 日本の畜産業の持続的な発展のため、早く、簡便に、安価に狙った性を産み分けられる技術を確立し、牛や豚での実用化を目指す。精子を雌雄に分離する技術を開発し、牛の体外受精卵移植や豚の人工授精での活用を図ることで、畜産経営の効率化と高品質化、国際競争力の向上と動物福祉に対応する。