馬を利用したシバ草原再生等に関する研究事業

安比高原の千年草原を未来へ
 スキー場で有名な岩手県北部、八幡平市の安比(あっぴ)高原。かつてここで放牧が行われていた頃の美しい草原を復活させよう――と岩手県立大学主導のもと地元の有志が農耕馬を放牧し、シバ草原を再生させる試みが始まりました。

在来馬を放牧し草原復活めざす

 「おーい」、阿部文子さん(39)の呼び声に応え、8頭の馬が駆けてきます。小柄に見える馬でも体重は400キロ、黒鹿毛のサムライキングは750キロもあります。地響きを立て、集まるさまはまさに圧巻。
 安比高原に広がる草原の歴史は、奈良・平安時代(8〜12世紀)にまでさかのぼります。その当時から蝦夷(えぞ)馬の産地として開かれてきたという記録があり、時を経た後も南部駒や短角牛の放牧により、ノシバの草原が維持されてきました。
 しかしこの草原は、30年ほど前に牛馬の放牧をやめたことで、周辺からダケカンバやササが侵入し、人が入れないほどの森林原野に戻りつつあります。
 そこで、平成24年、地元の有志が安比高原ふるさと倶楽部(関善次郎会長、会員66人)を設立。26年からは馬による放牧実験を始め、順次頭数を増やして、今年は8頭を放牧しています。
 馬の種類は、南部駒の血を受け継ぐといわれる寒立馬(かんだちめ)が主。他にも一回り小さい木曽駒など、日本の在来種です。競走馬のサラブレッドなどとは違い、厳しい冬にも耐えられる、がっしりした体格で、胴が長く足が短いのが特徴。農耕馬として、農具や材木などを引き、重量物を運んでいました。しかし、かつてのような馬耕、馬搬は機械に取って代わられてしまったのです。

写真: 阿部文子
阿部文子(あべ ふみこ)
昭和54年東京都生まれ。盛岡市観光協会、ロンドン日系企業勤務を経て、ヨーロッパアンティーク業に携わる。現在、八幡平市地域おこし協力隊員として、安比高原ふるさと倶楽部に勤務。

草を食べる「仕事」祭りにも貸し出し

 放牧は「夏山冬里」という言葉が示すように、夏には山に放ち、冬には里に下ろす形で行われてきました。今年、馬たちは6月から10月まで、安比高原に完全放牧されます。そこで彼らに与えられた仕事は「除草作業」。人の手で行っていた除草を、馬にやってもらうのです。牛は高さがない草は舌の構造上食べられませんが、馬は低い草でも歯でむしり取って食べてしまいます。刈り込まれるため、ノシバだけの草原になるのです。ただ、レンゲツツジは馬には毒で食べ残すため、6月にオレンジ色の美しい花を楽しむことができます。
 馬たちの仕事は、他にもあります。毎年6月、岩手県滝沢市と盛岡市で開かれる「チャグチャグ馬コ」。色鮮やかな装束で着飾った百頭ほどの馬が市内を練り歩きます。今年は安比高原の放牧馬から2頭が参加しました。また相馬野馬追や、流鏑馬(やぶさめ)などにも貸し出され、観光資源として活躍しています。
 前出の阿部さんは、安比高原ふるさと倶楽部の運営委員で、馬の世話をしています。4年前、チャグチャグ馬コをフランスに紹介した縁で、八幡平市地域おこし協力隊に参加し、同市に定住しました。「文化継承のため、農耕馬を維持しているこの活動をもっと知ってほしい」と言います。

写真: 馬の放牧地を取り囲むブナの二次林
馬の放牧地を取り囲むブナの二次林。緑のダムと呼ばれるブナ林は、古くから木炭や漆器等の材料にするため皆伐され、残された母樹が親木となり二次林ができた。
かつては牛の林間放牧も盛んでササなどの下草が採食されたため立派な林に成長した。

馬の寿命は30年 広がる活躍の場

 馬の寿命は25年から30年と意外に長く、最期まで責任をもって飼養するのには覚悟がいります。放牧された馬の飼養管理をする馬搬振興会代表理事の岩間敬さん(40)は、ふるさと倶楽部で「はたらく馬」の普及に努めています。遠野市に住む岩間さんは20代の頃、地元の古老から馬に物を運ばせる馬搬の技術や調教を学びました。昭和30年代までは残っていたそれらの技術が失われることに危機感を覚えた岩間さんは、馬を取り入れた有畜農業を提唱しています。馬耕、馬搬、ビーチクリーン、乗馬、馬車など、馬ができることはさまざま。これらの「ホースワーク」を広げていこうと、岩間さんは各地で講習会を開いています。

写真: 岩間敬
岩間敬(いわま たかし)
昭和53年岩手県生まれ。馬搬馬方/一般社団法人馬搬振興会代表理事。平成22年、「遠野馬搬振興会」を設立。現在は農林業に従事しながら、馬搬文化と技術の継承、宣伝、普及などを目的として活動中。

生物多様性の保全 農耕馬の確保訴え

 ふるさと倶楽部の理事でもある岩手県立大学教授の渋谷晃太郎さん(61)は、馬放牧でシバ草地の再生事業を推進してきた一人です。生物多様性の保全の観点から、取り組んできました。生態系のバランスを取りながら、美しい草原を維持することが狙いです。渋谷さんは、そのための課題のひとつに農耕馬がいないことを挙げます。粗食に耐える在来馬の確保が難しいのです。そのため、ホースワークを広げる岩間さんの活動に期待を寄せています。また馬と草原という観光資源を生かし、その経済効果による生物多様性の保全を模索しています。

写真: 渋谷晃太郎
渋谷晃太郎(しぶや こうたろう)
昭和31年生まれ。岩手県立大学教授。専門分野は環境政策論、環境教育学。以前は環境省の職員として国立公園のレンジャーや環境教育などを担当。環境政策全般、特に、自然公園、自然資源の活用(エコツアー)、環境教育などの実学が専門。

人と馬が創る景色 未来につなげる

 この時期だけの馬と人が創った景色を、ぜひ馬上から見てほしい――との思いで、今年6月、ふるさと倶楽部が同地で開いた「馬と芝とレンゲツツジ祭」には30人が参加し、引き馬と馬車でレンゲツツジの咲く草原を満喫しました。
 草原を駆け、草をはむ馬。その姿は見る者の心を癒します。安比高原の草原を未来につなぐ担い手は、この馬たちなのです。

写真: 馬の放牧
馬たちは6月から10月まで、安比高原に完全放牧され、夏の間は草を食べて過ごす。
祭事への貸し出しのほか、馬搬の訓練やトレッキングにも精を出している。
歯でむしるようにして草を食べる。体重は700キロを超える。